泥沼と蓮の花

蓮の花、私大好きです。一般的に仏教の象徴のようなイメージがありますね。泥沼のように厳しい世俗、環境の中にあっても、染まることなく人として綺麗に咲きなさい、あるいは、泥から栄養を受けて咲いているので、厳しい環境を糧として人間として成長しなさい、といったところでしょうか。

今日、それとは違う視点の一節に出合いました。

花が咲いたので池が生きるのです。一輪の花によって、醜いものになり得る池が美しくなります。

とても新鮮な気持ちになりました。

蓮の花が咲いてなければ、誰も関心を持たない、むしろ避けて通るような泥沼。でも、蓮の花が一輪咲いているだけで、皆が足を止め、池があることを喜びます。絵や写真に収める人もいるでしょう。花一輪で泥沼の価値が一変するのです。

同様に、人としてどうなの? と眉をひそめたくなるような人の中にも、きらっと光る一点を発見した時、思いがけない優しさを見た時、私達はその人を見る目が大きく変わります。

もしかして、否定的な思いで相手を見る時、蓮はそこにあるのに見えていないだけかもしれません。

心の目の焦点を、綺麗な方に合わせられる自分になりたいと思います。

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