無償の愛

最近、自分には愛が無いなぁって感じています。

すご~く嬉しい事や、予想だにしなかった出来事が起きて、刺激的だった2月。後者に対応する中で気づいた事があります。(頭では知っていても、実感してなかった事、あるいは一部にしか当てはめていなかった事)

親は子供に見返りを求めず愛を注ぎます。
恵まれない境遇にいる人々に支援をする時も、私達は見返りは考えません。

自分にとって一番近い家族という枠の外側にいる人々。親族、友人、知人等。そういう人達との関わりの中で、計算していたり、期待していたりする自分がいます。

遠い人を愛するのは容易い、とドフトエスキーは言いました。近い人を愛するのが難しいのだ、と。遠い人は目に見えません。近い人は、こちらの行為に対して、いつも望ましい反応をしてくれるとは限りません。無愛想だったり、お礼を言わなかったり、心外な言葉が帰ってきたり…。

それでも、困っていれば手を貸そうとする・・・・・それが無償の愛だと思うのです。

そういう行動を取る人がいます。

韓国ドラマ等を見ていると、自分も困っているのに、友人にお金をあげるシーンなんかがありますね。何も期待せず、そのお金で友人が困難な状況を脱することだけを願っています。

そういう打算のない愛を、家族以外、どれだけの人に注げるだろうか考えてみると、自分には愛が無いなぁ、と反省するのです。

その人の立場に自分を置いてみると、以前は思い及ばなかった部分に気がつきます。「きっとこんな気持ちだったろうなぁ」と、それまでの自分の至らなさを申し訳なく思います。

そんな事を感じていたら、
週末、娘が予約した高速バスに遅れそうになって、タクシーを使いました。(恐らく自分でタクシーに乗ったのは初めて)電車で一時間くらいの距離です。学生にはばかにならない料金でしょう。するとタクシー運転手さんがとてもいい人で、なんと途中で料金メーターを止めてくださったそうです!

そんな人がおられる!

娘はなんと貴重な体験をしたのでしょう!

私も、神様から、精進せいと背中を押されているように感じました。

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