雪、雪、雪!!

扉を開けるとそこは雪国だった。
今朝玄関を開けてみると、屋根には優に50センチの雪。一面真っ白です。

主人の故郷に移り住んで早や20数年。これまでも時々雪は降りましたが、せいぜい数センチ、2・3日のことでした。ところが今年は次元が違う! 降る量も日数も別次元。降らない日の方が珍しいほどです。「もう雪はいい」と主人がぼやいたのは先々週。
昨日、主人の会社は早めの退社となり、「5時半には駅に着くから迎えをお願い」とメールが来ました(通勤に約1時間半かかります)。その後すぐ、「雪の中運転するのは危ないから、迎えはいい。歩いて帰る」と再メール。歩けば30分くらいでしょうか。

ところが雪のため電車は2度止まり、駅に着いたのは10時過ぎ。帰宅するなり主人は食事もとらずに雪かきを始めました。夕方以降すごく積もっていたのです。家に入って食事をしたら、また外に出る気がなくなるから、とスコップを取り出す主人。2世帯で暮らす我が家は大人が5人。車も5台。車庫は3台分しかないので、2台は雪をかぶります。今夜やっておかないと、明日車が出せない、と。

私も手伝おうか、と言うと「いいから先に休んでて」と主人は私に大変な事はさせません。その言葉に甘えた方がいいことを知っているので、私は先にお風呂に入り床に就きました。主人は結局夜中の1時過ぎまで雪かきをし、お味噌汁をすすったくらいで入浴し休んだようです。

朝7時前に家を出て、仕事をし、5時間遅れの電車で帰宅した主人が、一日家でのんびりしていた私を、当然の事のように、先に休ませ、雪かきをする。

男の人ってすごいなぁって改めて思いました。こんな頼もしい男性に守られている私は、何と幸せなんだろう、と布団の中で感謝の思いにひたった昨夜でした。

広告

男性更年期障害の予防策

今夕NHKで男性更年期障害を取り上げていました。幸い、主人にその兆候は見られませんが、参考までに見ていると、なかなか興味深い内容でした。

男性ホルモンの減少によって起こる症状ですが、男性誰もがなるわけではないそうです。

定年後に症状が出ることが珍しくないのは、退職によって自分が認められる場所、目立つ場所がなくなるから、と専門家が解説していました。薬や運動等でかなり改善するそうです。

妻として、できる予防策は、なんと

褒めること!

幸福の原則は、ここでも活きていました!^^

「恋人に何もしてあげられない生活能力のない男という者は、淋しいものです」

タイトルのセリフは、三浦綾子さんの『道ありき-青春編』にありました。
三浦さんが結核を患っていた時の療友、やがて恋人となった男性の言葉です。講座で紹介してきた男性心理をよく表す言葉だと思い、引用しました。

学生時代以来でしょうか、本当に久しぶりに三浦綾子さんの本を読みました。特に関心があったからではなく、遠出する際の移動の伴にと、軽い文庫本の中からチョイスしただけでした。

その前に読んだ本は、北欧の推理小説で世界的ベストセラーになったもの。これも図書館で見つけて趣味と実益を兼ねて読んだもの。確かに、なかなかやめられない面白い読み物ではあったけれど…

その2冊に描かれた男女関係のなんと極なること・・・!

北欧に対するイメージにそのまま応えるかのように、男性主人公はいとも簡単に出会う女性たちと関係を持ちます。仕事では信念を貫き、他者の個性や違い・思いを尊重する理想的なヒューマニストのように描かれていますが、本当にこんな関係の中にあって、生身の人間が現実に心穏やかで生きていけるだろうか・・・と、疑問に思わざるを得ません。

一方、『道ありき』に描かれた3人の男性は、著者に無私の愛を注ぎきります。3人のうち2人はクリスチャンなので、信仰に根ざした本当に崇高な愛です。もう一人は、誠実の塊のような人。3者とも、実在の人物です。

凡人の私は、より良く生きたいと思いつつも、人生一周りした今もなお相変わらず自分の中にある負の感情と格闘しています。だからこそなのか、異次元の愛に触れるととてつもなく感動するのです。学生時代、『塩狩峠』の映画を見て衝撃を受けました。『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのコゼットへの愛にも。

三浦さんが若くして病床にある中、生きる意味、生き方、人間なるもの等について問い続ける過程、様々な人との出会い、異次元の愛、・・・それらを辿りながら、今の自分を見つめ、これからの自分の生き方を考える、・・・そんな機会をくれた本でした。

20年の時を超えて

20年ぶりに古い友人たちに会う機会に恵まれました。
そこにいた10数人、誰一人として風貌が変わることなく、髪の色合いや皮膚のハリ、お腹周りにちょっとだけ変化は見られるものの、20年という歳月が嘘のように、話し方もスピリットも以前のままでした。
時の流れの否定できない証拠は、子供たち。
あの頃小学生だった彼らが今や30代のパパです。

メールや手紙も大切なコミュニケーション手段ですが、生で会うことのパワーを改めて感じました。
苦楽を共にした人たちこそ、懐かしく、慕わしいものです。
まるでほんの一ヶ月ぶりかのように、すぐに冗談を言い合い、笑い合い、・・・なんの隔たりも遠慮もない会話を楽しみました。
そして、20年間、私の心に引っかかっていたこともシェアできました。

忘れがたい時を過ごせて、「行こう」と言ってくれた主人に感謝です。

『ハーバードの人生を変える授業』

幸せに精神的に豊かに生きるための糧を、本に求める人は多いでしょう。

私もその一人ですが、自己啓発書や心理学書よりも、物語から学びや感動を得るほうが好きです。フィクション・ノンフィクションを問わず、人の生きざまを追体験する中で教えられることが少なくありません。
それでも、図書館に行けば、心理学・自己啓発コーナーに足を運びます。自分の心の(枯渇?)状況によって、手が伸びる時と、全く気が向かない時があります。

先日は、飢えていたわけではないけれど、タン・ベル・シャハー著『ハーバードの人生を変える授業』という本が目に止まり、借りてきました。
恵まれた家庭環境に生まれた私でしたが、小学校高学年から色々な事がありました。比較的幸せな結婚生活を送りながらも、人生は予期せぬ展開を見せました。そんな中ここ10年位で私が学び実感してきた幸せな生き方のポイントが、この本に網羅されていました。

あらら~! っていう感じです。

やっぱりね。と確認したり励まされたり。

でも、もっと早く知っていたら、とは思いません。
しんどい思いをしたからこそ、シンプルな原則の価値を実感できるのだと思うからです。

“The Lost Boy” (『It(それ)と呼ばれた子‐少年期』)

図書館で見つけた”The Lost Boy”という本。母親に虐待された子の自伝で、”The Child Called ‘It'”(『それと呼ばれた子』)の続編です。幼少期を描いた最初の本は残念ながらありませんでしたが、自伝ながら推理小説以上の引き込む力があり、一気に読んでしまいました。

子供への虐待については痛ましいニュースで知るくらいの私には、衝撃の内容でした。

人間の本性は善だと信じ、そこに根差した原則を実践することで幸せをつかんだ、多くの実例を見てきました。

が、そこに描かれた著者の実母は、自分の子供にどうしてここまで“邪悪”であり得るのか? と思わざるを得ない人物でした。彼女だけを見ると、平和や人類愛を語ることに絶望的な気持ちになります。

一方で、様々な事情で親と暮らせない子供たちを引き取って育てている、里親たちがいます。里親といったら、一人の子供を引き取るのかと思っていましたが、そこに描かれた里親たちは、自分の家に何人もの子供(収容人数の限り)を引き取っているのです! 中には、政府から支給される養育費を目当てに里親になる人もいるかもしれません。けれど、ある夫婦は、30年以上にわたって、何十人もの子供たちを面倒み、世に送り出してきました。里子が道を踏み外しそうになれば、必死に諭し、労力を惜しまず、守ろうとします。

その純粋で、大きな愛に、私は衝撃を受けました。

人間て、凄いなと、思いました。

 

社会制度と様々な里親たちの中で、愛に飢え、認められることを求める主人公は、もがきながら時に過ちを犯しながら、必死に生きるすべを模索していきます。彼の心の内も赤裸々に描かれていて、関心のある人にはお勧めです。

 

シュモーさん

久しぶりに『アンビリーバボー』を見ました。

二つ目のエピソードで取り上げられたのが、アメリカ人のシュモーさん。

存在すら知らなかった人でした。

第2次世界大戦中、アメリカに住む日系人が収容所に追いやられる等の困難にある中、同じ人間じゃないかと、大学での教職を辞して、彼らを物心両面で支援する活動をしました。戦争真っただ中に敵国日本をルーツに持つ日系人を支援したアメリカ人がいたというだけで、ビックリしました。
やっぱりキリスト教精神はスゴイ! とあらためて感嘆しましたが、シュモーさんの活動はそれにとどまりませんでした。

広島への原爆投下で、罪のない民間人が10万人以上犠牲になったことにショックを受けた彼は、焦土となった広島の地に家を建てることを思い立ちました。
周りの冷ややかな反応に屈することなく、募金活動や軍・政府への渉外を続けて、4年後仲間と広島を訪れ、自ら汗を流しながら広島の人のために家を2軒建てました。単に原爆で破壊された家を再建するという目的ではなく、日本人とアメリカ人が共に家を建てる作業を通して、相互理解を深め、同じ人間として平和に生きていきたい、その象徴としての家を建てようとしたのでした。
その後更に10数軒、そして長崎にも、朝鮮戦争で廃墟となった韓国にも、家を建てる活動を続けました。

今は感動の余韻が残っていて、今夜知った事実だけを書いていますが、多くの皆さんにも知ってほしいと思います。

戦後72年、シュモーさんが広島に来て68年経って初めて、そんな生き方を貫いた人がいたことを知った晩でした。